バックホー(ホーチミン)は、南ベトナムをアメリカの帝国主義から解放するというスローガンを掲げた。

バックホー(ホーチミン)は、南ベトナムをアメリカの帝国主義から解放するというスローガンを掲げた。
我々は敵ほど武器を持っていなかったので頭を使う必要があった。
わなを仕掛け、待ち伏せし、単純だが必殺の武器を使った。
アメリカ兵はのろまで不器用だった。
ジャングルを抜けるときは特に、象のように動きが鈍かった。
我々は3人一組で行動した、武器も簡単で物音を立てずに素早く行動できた。
アメリカ兵を負傷させるか、殺すかして一日でも長く戦えるなら、それが勝利だった。
水滴が岩に穴を開けるようにアメリカ軍を摩耗させるつもりだった。
あのころアメリカ人は何のためにベトナムにいるのかということになると
内部からの侵略と闘っている、この国を助けるために戦っているというのがきまり文句だった。
だが、ベトナムを助けるという夢は、時として神話となり、自分たちの幻想を生み出す。
自分たちが勝利すると信じていたし、アメリカ的価値というものを彼らは信じていた。
だがアメリカは勝ってはいなかった。
アメリカ人は平等を謳い、民主主義を信仰し、共産主義と闘うベトナムを助けようと躍起になっていた。
だが、ベトナムの人民には、「アメリカ人は金持ちの白人であり、かつて植民地支配にしがみついたフランスの友人なのだ」
彼らが思い描くアメリカの姿はベトナム人民にはまったく逆のものに映っていた。
1975年4月26日サイゴン総攻撃
その3日後にアメリカ大使館閉鎖
職員たちはヘリコプターで海上の船に脱出
アメリカのベトナム介入の象徴であった軍用ヘリは留め置く場所がなく、次々に海上に投棄された。
1975年4月30日
南ベトナムは崩壊!!
民族統一をなしとげたベトナム。

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