米長の話

米長が自分の棋譜をもとにして次の一手などの本を出していた。
ここで必死をかけて勝ちという手で実は詰みがあった。
谷川との対戦でギリギリの終盤と称して詰めろではない手を受けてしまって本当に詰めろがかかってしまったというのがあった。
ギリギリの終盤だから仕方がないと米長は言っていたが現在の渡辺やそれより下の世代の若手棋士ならまず間違えないだろう。
自身の棋譜を紹介したが結局谷川の寄せの鋭さが目立っただけで谷川の強さをわざわざ証明したような将棋だった。
米長はむしろ中盤における手厚い将棋という印象があった。
米長はタイトル19期だが名人は1期しかない。米長自身そのことを随分と考えたらしい。
米長の哲学で勝利の女神というものがある。自分には何かが足りないのではないかみたいな。
トッププロであることは事実だが女性問題などのスキャンダルで人格も問題視されたがユーモアがある感じにもとれる。
名人戦問題もあったが瀬川プロ編入やコンピュータとの対戦など成果は出した。
芸能界とかマスコミとの接点が多かったようで連盟の会長には向いていたのかもしれない。
同時期の中原名人の方が棋士としては凄い。大山と並ぶ大名人だが中原は意外とおとなしい感じであった。
この時代のトッププロの棋譜を並べると谷川の鋭さが目立つ。
谷川の方が実績は高い。タイトル27期で17世名人。
全盛期の谷川は凄かった。

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